2014年7月26日土曜日

鶴居村営軌道の軽便2両が移転!

この夏休みにも観に行く人がいるかもしれないので記しておきます。検索で引っかかってくれれば良いのですが。

泰和製ディーゼル機関車 鶴居村 簡易軌道 ふるさと情報館みなくる

だって、遠路はるばる釧路の鶴居村まで尋ねた挙句に、お目当ての保存車両が消えていたら時間と精神的な損失は計り知れませんものね。

いや、2週間前の雨降る早朝に↓の状態を目の当たりにした私は実感してますよ(笑)


●この旧保存場所は『鶴居村郷土資料館』、鶴居小学校の隣だから行けば直ぐ分かるとの事でしたが、行ってみるとその辺に有るのは開拓記念の石碑と何かを掘り起こしたような不吉な跡だけでした。そもそも閉鎖された建物が『資料館』かどうかも不明です。

近所で犬の散歩中のおばさんに『この辺りに鉄道車両が展示されてませんか?』 と聞くと、ひどく戸惑い気味に『そこを曲がった所に有るけれど・・・』との答え。

明らかにコイツの目は節穴か?まさかアレを見逃すはずないよな?な?】 と思っていたに違いません(笑) まぁ、つまり、近所のおばさんも気づかないほど最近になってアッサリ華麗に消滅したのでしょう。

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 スマホでいろいろ調べ、ようやく「ふるさと情報館」への移転が計画されている(記事当時)と知りました。
場所は国道を挟んだ向かい側、セイコーマート横の道を進んだ所と覚えればすぐ分かるはずです。ちなみに鶴居中学のすぐ近くでもあるので、グラウンドにある鶴居軌道の有蓋貨車(物置)も眺めておきましょう(※3)



鶴居村 泰和車輌製 自走客車 気動車

 こちらは気動車(簡易軌道では自走客車)、ディーゼルカーだそうです。ほっこりするデザインですね。この色は考証的にはどうなのでしょうか、以前も退色風味ながら青単色だったようなので色味はともかくこの簡易軌道は青系等だったのでしょうかね・・・


足回りとかつい見てしまいます。真新しい枕木からオイルステイン臭が漂って鉄道らしい感じがします。762mmゲージ、札幌の泰和車輌、昭和39年製


「旧雪裡殖民軌道」車移設工事となっています。泰和車輌製DLは1960年製で、自走客車は1964年製なので、正確には1954年に移管された「鶴居村営軌道」でしか使われていない筈です。着工5月26日、完成8月25日。

泰和製ディーゼル機関車 鶴居村

 泰和車輌製の8tディーゼル機関車は今回は緑色に変更されてます。丸瀬布「いこいの森」にある同じ鶴居村出身の運輸工業DLは淡い緑ですけれど、考証による変更なのでしょうかね。雨が降っているせいもありますが色鮮やか、元々シッカリ形を保っていたこともあって最近まで現役だったような雰囲気です。これで半世紀前の車両とはちょっと不思議な感じもしました。


追記:
 写真を見て気づきましたが周囲に何かの基礎っぽいブロックがあります。ボルト4本が出ているので柵でも立てるのでしょう。工事標識上「完成8月25日」ですから早めに行ったほうが撮影には良いかもしれません。

追記2:
 基礎から柱を立てて屋根が取り付けられました。少々撮影が制限されますが以前の雨ざらしよりはずっと扱いが良いですね。

  2016年に自走客車が再塗装されました。やはり鮮やか過ぎたのか新考証により水色に近い当時の塗色を再現、白ラインも前後部分がより曲線状に変わりました。

 2018年12月、記事中の鶴居中学にあった有蓋貨車が釧路製作所に運ばれ修復されたので現在は同所に有りません。

2022年、修復された有蓋貨車が機関車の横に設置されました。

 



軽便鉄道系リンク
 鶴居村営軌道の軽便2両が移転!
フォードA型エンジン機関車(前)
フォードA型エンジン機関車(後)
加藤くん3DCG
道端に軽便鉄道(狭軌ディーゼル機関車)が!

2014年7月10日木曜日

フィアット 451C ブルドーザー

FIAT 451C crawler tractor前回「土の館」分館への続きです。

分館の一番奥には丸みのある見慣れないブルドーザーが有りました。ベースとなったトラクターは【FIAT 451C】で、これ自体が日本では希少種で、上富良野の本館にも無い車両です。

 もっとも本国イタリアでは割とポピュラーっぽいのですが、それでも【湿地キャタピラ】や、このタイプの【アングルドーザー】を装着したちょっとした特殊な仕様は画像検索した範囲では見つかりませんでした。


この手の車両を観ると、「普通の小型ブルじゃだめ?コッチだと安いの?」とか思うのは以前のカウンティCD50ブル同様ですが、湿地キャタピラと妙に細いドーザーブレードを見ると、ある種の特殊性を考慮した採用のような雰囲気がします。

そして、説明文を見ると・・・


「八郎潟」の文字!きゃぁぁ!

当初は興奮しました。八郎潟干拓事業には幾つかの珍品マシーンが投入されたと聞くので、これも知られざる一台なのかと。

ただし、説明文をよく読むと導入したのが1967(S42)年なので、干拓事業が終わり、入植時代に向けた車両だったのですね。意外にも「プラウ・ディスク・ハローなど」を取り付けて作業したとあるので、やはりブルドーザー専用ではなく農耕トラクターとしても考慮されていたようです。ふむ納得。

フィアット 451C
さらに調べてみますと、この昭和42年はちょうど第1次入植者が入植した年で、翌年から営農が始まるという、時代の変わるタイミングなのですね。

実はその頃の入植地はまだまだ普通の「農地造成後」レベルではなかったらしく、装輪トラクターが泥濘に嵌るなんてことが珍しくは無かったようです。このフィアット451Cの湿地用キャタピラも納得といったところ。

また、入植自体は第5次まで行われているので場所によっても地面の仕上がり状況が全く違った筈です。このフィアット451Cが例えば入植者達が共同使用した物なのか、もっと広範囲の農地造成目的でも使われた物なのか、そういった使用状況のことも知りたいと思いました。


あと・・・目論見通りに整地と農耕の両方で十分に役立ったのかも知りたいですね
(ちょっと疑ってますw)


FIAT 451C crawler tractor
フィアット451C 出力45hp(34kw)、「C」はクローラーでしょうか
●オマケ
SOMECA(フランス)のページ451マニュアル400シリーズリペアマニュアル(pdf)

●前回の記事「土の館」分館へ


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●後日追記

当時の日本語版のカタログには451クローラーが三種載っていました。

451Cは「標準」 「広幅」、451CWとして「湿地用幅広」。

この湿地+アングル・ドーザー仕様が作業する写真も載っていたので、一品物とかではなく純正で用意されていたモデルのようです。




2014年7月6日日曜日

「土の館・分館」へ

北海道の上富良野にあります「土の館」は国内唯一のトラクターの殿堂にして我らが聖地。毎年参拝しないと私の中のトラクター好きの部分が落ち着きません(笑)

その「分館」が茨城県のスガノ農機工場に有ると知り見学に行ってきました。分館の案内

場所
茨城県の霞ヶ浦近く、稲敷郡美浦村(みほむら)という所。ちょっと公共交通機関では行くのは辛そうなロケーションでした。

なお、私の古いカーナビは該当する住所が出ませんでしたが「スガノ農機」で普通に辿り付きました。工場自体は以前から有るのでした。

どうでもいいけれど、毎年のようにこの近所に来ていたのに今まで知らなくて悔しかったです…まぁ近所といっても北海道基準の100km圏内ですけれど…

不安は不要
これは本館にも言えるのですが、ネットの案内を観ると「基本コース」とか「申込書」とか何か敷居が高そうで少々不安になります。が、実際は直接行って自由に観られる施設でした。本館同様に良い意味で放っておいてくれるし、清潔で行き届いた雰囲気も同様で凄く好きです。あ、工場見学も希望する場合は事前に問い合わせすべきでしょうけれど。

 展示規模

向かって左にはトラクターが、右側にはプラウ等がズラリと並びます。

カマボコ型倉庫1棟分の展示規模は本館と比べるまでもなく小さいのですが、それでも本州でこのレベルのトラクターを一同に拝めるところは他には有りません。例えば一番手前のマン4WDも本州で唯一観られる物の筈です。

なお、寄贈者住所を見ても展示品の大半が北海道から運んだもので、以前に上富良野で観た記憶のある機種もチラホラ。

スペースに余裕があるので地元由来の珍品とか何時か入らないかなぁと思うのでした。

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湖底プラウ
スガノ農機が制作した巨大な湖底プラウ。実物は工事後に解体されて現存しないそうで1/10モデルが展示されていました。ミニチュアでも実際にトラクタープラウとして使えそうなサイズ!
ファモール カブ
ファモール・カブの1954(後期)年型。ここではシバウラAT-3と並ぶ最古参ですね。シリアルナンバーではこの年の最後から5台目にあたるので導入は翌年の昭和30年と思われます。

戦後、長期生産されたファモール・カブの中でもこの型が最も「らしい」代表的モデルと思っていたのですが、実際は54年途中から翌年までの1年数ヶ月しか採用されていないデザインのようです。赤いグリルが付き、FARMALL CUB等のロゴが立体でリッチです。

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一企業であるスガノ農機がこのような取り組みをしていなかったら・・・日本におけるクラシック・トラクターの資料の多くが藪の中に消えていたでしょう。他のいくつかの乗り物ジャンルを見ると想像できますね。感謝。

※‎2014‎年‎6‎月‎5‎日に訪問しました。



 ●他の展示車両は別立てて後で記事にします。

フィアット 451C ブルドーザー



2014年6月12日木曜日

チェリートラクタ CT101 東大農場博物館

さる2014年6月3日は、北海道で90年ぶりの37.8度!という全国最高気温を記録した日でしたが、私は逆に東京大学の農場博物館へ行って避暑に成功していましたw

西武新宿線は田無駅から真っ直ぐ徒歩8分、まわりは住宅街でしたが、生態調和農学機構は農場と年代物の建築物がのんびりとした雰囲気を醸し出して良い所でした。木陰は涼しくて気持よかった・・・。博物館は古い牛舎の1つを改装した小規模な物です。

ちなみに「はるばる北海道から東京まで古トラクターを見に行ったのかバカめ」と言われかねないので書きますと、あくまで東北旅行したついでに福島の新白河駅から新幹線で往復したもので、「設定上は」もののついでに行ったのです(笑) ここは火、金の週2日公開というスケジュールを合わせるのが難しい所であるので変則的な旅になりました。

 
ビクターオート・チェリートラクタ CT101

お目当ての一番手がこのチェリーでした。企画展「耕耘用機械の発達史」として3種類の耕耘方式が揃い踏みする中の、ロータリー作業機の例として展示されているのです。(→ちなみに写真奥がスクリュー式、手前がクランク式)

個人的にこのタイプのチェリーが好きで実車を観るのは多分5台目になりますが、この農場博物館サイトでCT135型という謎の型番で紹介されていたため余計に興味を惹かれた個体です。

というのも私の理解する限り、これを最初に製造した神農工社版がCT10型(旧ブログ参照)で、間もなくビクターオート社の生産に移りCT101型と型番が更新されている筈で、135という後期の型が存在するのであれば違いを知りたいし、あるいは135という数字はエンジンの型番なのでその混同ではないか、銘板が読めれば確かめたいと興味を持ったのです。


・・・・CT101G

館内には東大フィールドボランティアの説明員さんが数名居られるので、銘板を見てもらうようお願いしたところ、読めない(日陰になっているので)との事で写真に撮って確認しました。その結果1958年製、CT101Gと打刻されている事が分かりました。7桁の製造番号の意味は良くわかりません。

とにかくCT135ではない事が分かりましたが、CT101Gの【G】が付く銘板も始めて観たので一寸した収穫といえます(現在は東大農場のHPでも修正されています。)

ちなみに上富良野の土の館収蔵のCT101は同じ1958年製で製造番号が60少ないだけの機体ですがGは付きません。この間にマイナーチェンジしたというよりも併売されたバリエーション、グレード違いの一つではないかと思います。

ついでに、エンジンの銘板も読めたので記しておくと、同じく1958年製で 、型番135、製造番号50xxxでした。

このスチール135ディーゼルエンジンはビクターオートがライセンス生産したもので、農発として単体でも発売され、後にはイセキのトラクターと耕耘機にも搭載されています。しかし、1958年時点で5万代の数まるまる全部が製造数とは思えないので何らかの独自のカウント法則があるのでしょう。ちなみに上で触れた土の館の個体では、エンジン型番135Cと【C】が付き、製造番号57xxxと逆に7000位上も多いです。ただし銘板デザイン自体が異なり製造年が分からないので後に積み替えた物かもしれません。


この個体に何か特徴は有ったか・・・

といわれると特に無いのですが、ふと気づいたのは空冷エンジンを覆う導風ケース「シュラウド」のディテールです。

チェリートラクタ CT101
このエンジンの初期の物はシュラウドにSTIHL DIESELとメーカー銘が陽刻モールドされています。銀色なので軽合金の鋳物かと思うのですが、それとは別に、黒く塗られたシュラウドにエッチング板のSTIHLマークがリベット止されたバージョンがあります。コチラはおそらく低コスト化された後期の型で、鉄板プレスでできていると予想しました。

で、この個体では、エッチングのロゴマーク版なのですが、シュラウド自体は銀色の観た記憶のない組み合わせ。

実は撮った写真をよく見ると僅かに塗装らしきものが残っていました。軽合金に黒の塗装をして大半が剥がれてしまったのでしょう。どうでもいいけどただの鉄板じゃないんだヘェ~って感じです。あと初期は陽刻モールド版ですが、これが後の型にも見受けられたりして今のところチョットした謎なのでありました。


STIHL DIESELが陽刻モールドの例

こちらのはSTIHLマークが金属プレートでした